**1ページ目** ゲームのニックネームを決めるのか? それなら、勝利の女神の名前にちなんで、‘ニッキー'にしよう。 勝利の女神が俺に微笑むように、正々堂々勝負に 挑んでやる! “良い知らせを持ってきたぜ!今度の大会は賞金が すごいらしい、どうだ出てみないか?” マネージャー役を引き受けてくれている隣りに住む兄が 無理やり引きちぎるように剥がしてきたらしい、ボロボロに なったポスターを持って駆け込んできた。 “バ…リ…トゥード?” 耳慣れない言葉だが、確かに聞いたことはある。 **2ページ目** “そう!バーリ・トゥード!! 言葉の通りルールはない、何でもありだ! 金をうなるほど持っている団体をバックにつけてやるんだ。 今、塞ぎこんでる格闘技界を昔みたいにハデに 復活させようってワケさ! 見ろよ、この賞金金額!俺たちが今まで出てきたチンケな 大会とはワケが違うぜ!! これに出て勝ちさえすりゃ、俺たちはこのスラムとは おさらば出来るんだ!” 兄の最後の一言、“スラムとおさらば出来る”それは 俺たちの共通の夢だ。 俺たちが生まれたところは、それは酷いところだった。 ついさっき別れた友達が、次の瞬間冷たくなっている。 そんな事はざらだった。 **3ページ目** 毎日、生きるために必死で泥水のようなそこから 這い上がる為には、力が必要だった。 俺は、兄の薦めで格闘技を始めた。 傷つきながらも、俺はその世界で少しずつ名を上げてきた。 微々たるものだったが、手に入る賞金で幼い兄弟達を 食べさせてやることもできた。 そんな中、兄が知らせてくれた大会はまさに千載一遇の チャンスだった。 優勝すれば、莫大なファイトマネーが手に入る。 その為に、俺に出来ることだったら、何でもやる。 迷う必要など無かった。 大会はブエノスアイレスで開かれた。 他の大会とは違い、この大会はマスコミ関係者を一切 遮断して、招待状を持った一部の選ばれた人々だけが **4ページ目** 入場できるように規制されていた。 相手選手や対戦表に関する情報、他の選手たちの 試合結果ですら分からなかった。 そして、変わった点はもう1つあった。 選手たちに提供されたマスク…―。 大会側は、観客のためのサービスとして面白い演出が 必要だからと言っていたが、おそらくそれが理由では ないだろう事は想像がついた。 俺は今まで類を見ないほどの賞金がかかった大会だから、 名うての実力者たちが大勢出場するんだろうと思っていた。 が、そんな俺の予想に反して大した苦労もせずに決勝まで 上がってくる事ができた。 試合の内容ですら仕組まれているんじゃないか、俺が そういうと、兄は俺の実力に運までついているからだと **5ページ目** 慰めてくれた。 いよいよ、決勝戦を行う日が来た。 選手控室へ向かいながら俺は今度の大会について 釈然としない感情があったが、非公式の大会なんて そんなものだろうと自分を無理やり納得させて競技にだけ 専念することにした。 出る以上は、正々堂々と自分の持てる力を振り絞って 最善をつくせば良いと思っていた。 控え室に向かっていると、体に鈍い衝撃が走った。 どうやら、考えごとをしながら歩いていたので注意が 疎かになって誰かとぶつかったらしい。 ぶつかった瞬間に、何かが落ちて砕ける音がした。 視線をそちらにやると、写真を入れることが出来る ロケットのペンダントが落ちていた。 **6ページ目** ペンダントの周りには、細かな破片が散らばっている。 どうやら、落ちた時の衝撃でペンダントの蓋が開いてしまい、 写真をしまう部分にはめ込まれたガラスが割れたらしい。 ペンダントを拾い上げると、ふとその中にしまわれている 写真に目を奪われた。 幼い子供たちと女性・・・おそらくは家族の写真だろう。 色褪せてしまってはいるが、写真の中の彼らは今でも 幸せそうな微笑をたたえている。 ガラスの破片を払いのけ、ペンダントの持ち主へと視線を 移した。 そこにいたのは、赤銅色に日焼けした肌と、鍛え上げられた 体つきの中年の男だった。 男はネックレスを受け取ると、彼らと過ごした過去を 懐かしんでいるんだろうか、そんな表情を浮かべていた。 **7ページ目** “俺の注意が足りないばかりに、ガラスが・・・。 本当に申し訳ございません。金銭で解決する問題では ないと分かっていますが、せめて修理代だけでも・・・” “いいや、構わないよ” そう言うと、ペンダントの蓋を閉じて大事そうに 自分の懐へとしまい、その場から立ち去った。 その男と入れ違いになるように、兄が駆けてくる足音が 聞こえてきた。 “こんなとこで何をしてんだ!? 準備する時間はあまり無いんだ、とっとと控室に行って 準備をしないと!” **8ページ目** 決勝戦を控えた会場から上がる歓声は、ますます大きく なり控え室にいる俺にも聞こえてきた。 おそらく、観客たちのボルテージは最高潮に上がって いるんだろう。 リングは鉄条網で囲われ、審判は一応いるものの 彼らは、ただ選手たちを紹介するためだけに存在している。 一度、リングに上がればルールは無しの何でもありの 大会だ。 審判の存在は、確かにそれだけで十分なんだろう。 試合は、倒れて降参を宣言するか、失神するまで続く。 判定勝ちと言うのは無い。 相手が巧みに反則を使ってきても、その是非を判断する 審判がいないから質の悪い相手に会えば、下手をすれば 致命傷を負う可能性もある。 **9ページ目** ここまで、がむしゃらに決勝まで勝ち進んできた俺も、 さすがにこの決勝戦では体が強張るのを感じた。 決勝の相手だけは、賞金の金額にふさわしい実力と 手腕を持ったヤツが上がって来たはずだからだ。 リングの上に俺と相手が立ち上がった。 観客たちの反応は、歓呼と野次で真っ二つに割れた。 相手の勝利を確信しながら歓呼する声と同じだけの 量の野次が容赦なく俺に降り注ぐ。 “左側の下腹部を狙え、そこのガードが甘いからな。 俺たちは必ず優勝するんだ、分かってんだろ?” 俺は、その言葉を気に止めなかった。 対戦相手の情報は、規制されていて入ってこない。 **10ページ目** 第一、たまたま他の試合を見ていたとしても、顔を隠して 戦っているんだ、どうして俺の目の前にいるヤツが同じだと 言える? 選手の紹介が終わり、審判も両側のコーチも皆リングを 下りた。 あれだけ降り注いでいた野次も、割れんばかりの歓声も 全く聞こえてこない。 俺の全神経は、ただただ目の前の相手を倒すことだけに 注がれていた。 観客も、審判も、兄でさえ、遠い異世界のことのように 感じられた。 おそらく、人々は中世コロシアムで命を担保にした 試合を見る時のような異様な…ある種の狂気に 捕らわれているんだろう。 **11ページ目** この試合は、今までとは違う。 単純に決勝だからとか、そうではない…何か別の気配を 感じていた。 俺も相手も、試合が始まってから一歩も動かなかった。 相手の姿勢には、少しの隙も無かった。 最低限の動きだけで、相手は俺を打つためのタイミングを 計っていた。 俺は、それとは反対に俊敏に動いて攪乱し、姿勢を崩した 瞬間を狙おうと考えていた。 試合前に兄から聞いた言葉を気にかけまいと思っていたが、 どこかひっかかっていたんだろう。 相手が特に左側の腹部を防御するように動いた。 全く隙が無い様に見える姿勢も、俺が左側に近付いた 瞬間だけは一瞬崩れたように見えた。 **12ページ目** 次の瞬間から、多様な打撃がお互いに行き来したが、 勝敗をつけるほどの致命傷は加えることができなかった。 いつ終わるとも見えない、互いが牽制し、それぞれ少しずつ 削るような試合を観客たちは耐えられなかったんだろう 彼らは声を上げて野次を浴びせかけてきた。 一刻も早く試合が終わるのを望んでいるんだろう。 俺が負けるという形で。 俺は、自分のフットワークを生かして身をかがめ、相手の 懐深くもぐる接近を試みた。 一気に詰めた間合いは、俺に有利なように見えた。 しかし、相手もこの時を逃さず巨大な鉄槌を振り下ろそうと するかのように腕を引き上げる。 俺は相手が腕を上げたことにより出来た隙を逃さなかった。 スピードは、俺のほうが一枚も二枚も上手だった。 **13ページ目** 相手より、素早く右手にすべての力を加えて無防備な 状態になったそこへ拳を叩き込んだ。 意図したのではなかったにも関わらず、左側の腹部に 正確に拳が入った。 そして、次の瞬間、相手の拳が俺を直撃した。 しかし、その拳には力ではなく重みだけがあった。 俺たちは二人同時に倒れたが、先に立ち上がることが 出来たのは俺だった。 大会は俺の勝利で終ったが、会場内は試合結果に 不満のある観客たちで暴動に近い騒ぎが起きていた。 そして、失神したまま担架で運ばれていく相手の腹部には 出血による染みが広がっていた。 勝ったことへの興奮はなかった、控え室に戻ってからも 不穏な空気が立ち込めていた。 **14ページ目** 窓の外では、パトカーのサイレンが鳴り響いている。 普通ではない雰囲気で警官たちが会場に詰めかけてきた。 その日、夕方のニュースは各局“希代の賭博競技”という タイトルが飾っていた。 マフィアとイベンターが共謀し、試合を操作して夥しい 掛け金を儲けたというのだ。 一番の優勝候補だった選手は、試合が始まる前日に 何者かに襲われて左側の下腹部に怪我を負ったと言う ことだった。 彼を襲った犯人は、通り魔に見せかけておきながら的確に 左側の下腹部を狙い、怪我をしながらも、その選手は 試合を諦めることができず、怪我の事実を押し隠して 出場したのだと伝えていた。 **15ページ目** 彼と試合した選手たちは、左側の下腹部を狙えと言う 匿名の情報提供を受けて、実際に試合では集中的に その部分を狙われ、傷が悪化していたと言う。 彼は現在急激な出血性のショックにより意識不明の 重態になっていると伝えて、ニュースは終った。 犯人達は、人々が関心を置かない無名に近い選手が 最後の勝者となるように緻密に試合を操作し、その結果で 観客から多額の掛け金を巻き上げていたのだという。 犯人達は現在も逃走中で、警察では指名手配を しているとの事だった。 試合を見ていた観客たちは、富裕層や権力層で、皆が 想像もつかないような桁の掛け金を失ったにもかかわらず、 自分の身分のために不法競技で賭博をした事実を 揉み消すだろうとも…。 **16ページ目** 俺は、兄に事実を確認する為に連絡をしたが、彼は既に 莫大なファイトマネーを手に姿を消していた。 おそらく兄は、俺に今回の試合の事を知らせに来る前から 犯人達と絡んでいたんだろう。 俺は、決勝戦で戦った相手が入院しているという病院を 尋ねた。 しかし、病院を訪れた俺が案内されたのは彼がいる 病室ではなかった。 そこで俺が見たものは白い布が顔に被せられ、物言わぬ 彼の姿だった。 看護士の話では、彼を尋ねる家族や親戚は1人も 来なかったと言うことだった。 病院側で調べてもらって分かった、彼の唯一の関係者は 彼のマネージャーをやっていたという男だけだった。 **17ページ目** その男の元を尋ねると、この結果は全て自分のせいだと 悲嘆にくれていた。 “彼は、幼い頃からの親友でした。 ニュースでも伝えていた通り、彼が怪我をしていたのに 無理をしてでも試合に出場したのは、私のためなんです。 私の妻は不治の病でしたが、私達は貧しく妻に満足な 治療をさせてやるどころか、医者に連れて行くことすら 出来ませんでした。 彼は、今回の試合のポスターを私に見せて 『試合に出て必ず勝つから、その賞金で奥さんを 病院に連れて行ってやれ』と言ってくれたのです。 試合の前日に教われて怪我をしたと聞いて、試合は 無理だと止めたのですが、約束したから、心配すんなと 笑って…” **18ページ目** 男の言葉は、最後は嗚咽にまみれ聞き取ることは 出来なかった。 彼がしばらくいた病室のベッドは既に整えられ、ベッドの 横には、ペンダントと1通の手紙が置かれていた。 彼の遺品は、それだけだと言う。 ひび割れたガラス、そしてそこに収められた幸せそうな 家族の写真。 それを確かに俺は知っていた。 試合前に廊下でぶつかった彼の姿が目に浮かぶ。 家族たちに送ろうと書き留めたであろう手紙を、 彼の親友だという男が俺に手渡した。 『今度の試合が終われば、これ以上お前たちのそばを 離れて暮らさなくても良くなる。 お前と小さな店をやって、小さくても俺たち家族が一緒に **19ページ目** 暮らせる家も手に入る。 お前たちには長い間苦労をかけてすまなかった。 子供達にも寂しい思いをさせてきたが、もう少しの間だけ 辛抱してくれ。』 俺は犯罪の片棒を担いだだけじゃない、一つの家族の 希望と幸せすらも奪った。 俺は罪悪感に頭をあげることができなかった。 握り締めた手の中、ペンダントにおさめられた写真の中で 見た幸せそうな顔がより一層俺の胸を掻き毟った。 彼の家族を探して謝罪し、彼のかわりに助けたたいと 願った。 しかし、自分が生きるだけでも精一杯な現状…。 俺に出来ることは何一つとしてない。 **20ページ目** そんな時、ニュースでメガロカンパニーの会長ドン・カバリアの 死亡と、彼にまつわる財産…カバリアの遺言を知った。 今度こそ迷わない、俺は決意を胸にカバリア島へ向かった。 トリックスターになるために。