白い羽 「ああ、嫌だな」  そう呟くと、ぼくは切り株から立ち上がって伸びをした。回りには誰もおらず、ただ葉っぱの散った森が広がっているだけだ。北風が吹いて、枯れ葉を舞い上げた。ぼくは上着の前をしっかりと閉めると、森の中を歩き始めた。  空はどんよりと曇っていて、寒い風と一緒にぼくの心をどんどん暗くさせて行った。 「ぼくは、逃げた卑怯者だ」  ぼくは、逃げてきた。嫌いな学校、いじめてくる友達、何もしてくれない先生、そしてうざったいお母さんから。皆が皆、ぼくをわかってくれない。口では「孝志」「たかし」と言って話しかけてくるけど、心の中ではぼくのことを嫌っている。  いじめられるようになってから、三ヶ月が過ぎた。もう、いじめられていなかったころが、とてもなつかしく思える。 最初は平気だった。嫌いな、まさしのグループが話しかけてこなくなってラッキーだとすら思えていた。けど、クラスのたくさんの人が無視するようになったところで、少し胃がムカムカするようになり、まさし達がぼくを叩いてくるようになると、もう、学校に行きたくなくなった。 ぼくはもう、学校に行けない。自分がいじめられるのが怖いのもある。でも、理由はまた別。 学校に行こうとすると、頭が割れるように痛くなる。それでも無理して学校に行くと、気持ち悪くなる。それでも我慢すると……吐いてしまう。そのせいで、学校に行き始めてから、五年と三ヶ月間ゼロだったぼくの保健室の利用回数は、ここのところ急上昇中で、保険の先生は、またか、と言うような顔をしてくるようになった。  だから、逃げた。初めて、学校をサボったその日は、とても心臓がどきどき言って、とても怖かった。でも、お母さんが何も言わなかったから、平気に思って、それから何回も、何回も学校をサボるようにしていた。お母さんは三回目くらいから、うざったくぼくのことを聞いてきたけど、クラスのみんなは誰も、何も、言ってこなかった。 やっぱり、ぼくはみんなから嫌われているんだ。嫌われて…………。誰かに、話したい。このことを。助けてもらいたい。周りの人から。ヒーローに来てもらいたい。まさしたちをやっつけてもらいたい。 「だ、誰か……」  頭がパンクして、口から声が少し出た。なんとなく口をふさいだけど、思いっきり叫ぶことにする。まわりには、誰もいないから、叫んでも平気だろう。 「誰か、誰かいませんか〜〜〜〜〜〜〜〜!」  思いっきり叫んだ。合唱コンクールで、頑張って歌ったときより大きな声で。友達が欲しい。たくさんの人と話したい。まさしたちをやっつけて欲しい。いや、むしろやっつけたい。普通に話せる友達が欲しい。お母さんはぼくに構うのをやめて欲しい。先生はまさしたちをしかって欲しい。まさしはぼくに謝って欲しい――とにかく、思いついたことを思いっきり叫んだ。 「…………………………」 でも、と言うか、もちろんと言うべきか、周りの森からは、全く返事は帰ってこなかった。聞こえてきたのは、周りにいた鳥が飛び立っていった音だけ。帰ってきたら帰ってきたで、それは怖いな、と思うと、笑えてきた。笑えてきて、笑えてきて……涙が出てきた。 枯葉が敷き詰められた冬の森をぶらぶらと歩いた。特に行き先なんて決めずに、ただ、足の向いた方へ。帰り道なんて、気にしないで、とにかく歩く。 もし、森から出たら、いつものようにまた森の中へ戻ろう。もし、疲れたら、さっきみたいに座って休もう。 そんなことを思いながら歩き続けると、枯れ葉っぱが少し湿ってきた。スニーカーで踏みつけても、クシャといい音をして割れず、引っ付いてくる。これは危険信号。大抵近くに水たまりがある。 「あっ、あれか」  水たまりを見つけた。結構大きい。誰かと一緒に、飛び越えると、面白そうな大きさだ。薄く氷が張っていて、これを使って遊んでも楽しそうだ。  でも、今はみんな学校で、みんな一緒に……まあいいや、とりあえず、ぼく一人だけで、この水たまりを飛び越えよう。  水たまりから少し離れて、かけっこの用意の姿勢をする。そして、思いっきり助走をつけて、水たまりを飛び越え―――――― ザバアッ! 「うわあっ、冷たっ!」 ――飛び越えたはずなのに、水音がして、ぼくの両足は氷を踏み砕いて、水の中に入り、僕は思いっきり全身、ずぶ濡れになった。 「寒い、寒い、なんでこんなところに川が!」  ぼくは叫んだ。真冬に全身水浸しはかなり辛い。森の中にぼくが知らない川があって、水たまりを跳び越したときに、その川の中に入ってしまったようだ。全身がブルブルと震えてくる。もう、散々だ。  ぼくはここにいることを誰にも知らせていないから、ぼくは一人で帰らなきゃいけない。この、帰り道のわからない真冬の森を、水浸しで、彷徨いながら。帰れるのか?  そう思った瞬間、冷たい風が吹き、ぼくの身体を冷やした。さっきから振るえが止まらず、とても寒い。……なんでこんなことになったんだろう。  まさしたちのせい? 先生のせい? お母さんのせい? ぼくのせい? そんな風に考えていると、とても腹が立ってきた。今挙げた、誰でもない、この世界を作った人に。 「神様の、バカーーーーーーッ!」  世の中が、ぼくだけに厳しいことに腹が立った。だから、思いっきり叫んだ。 「ぼくは、幸せになりたいんだーーーーっ!」 この叫びも、森の中に、むなしく消えていった。 「はぁ」  そして、ぼくは身体を川から引き上げると、歩き出そうとした。でも、止められた。 「バカとはなんじゃーーーーーーーーっ!」  頭の中に妙によく響いてくる叫び声に。 「誰、誰なの、どこにいるの!」  慌てて周りを見渡したけど、誰もいない。空耳だったのかと思って、もう一度歩き出そうとすると、「お前がバカじゃーーっ!」と声が聞こえてきた。どうやら空耳ではないらしい。思いっきり叫んで聞き返した。 「どこ? どこにいるの?」 「ここだ、ここ!」  目の前に大きな影が覆いかぶさったかと思うと、地面に、大きな、大きな……ぼくを乗せられるくらい大きな、白い鳥が降り立っていた。 「なんだなんだ、最近の子供は。何もしていないわしらのようなものにも文句を言うのか? それとも、わしが気が付かないうちに、何かしたと言うのか? ほれ、言ってみな」 「あ……」  ぼくはただ驚きの声をあげることしか出来なかった。目の前に、大きな鳥がいる。今まで見たことの無いくらい大きな鳥が。そして、喋っている。まるでおじいさんが喋っているような声で。 「おい、坊主、言ってみな? わしが、何かしたか?」  鳥が、ぼくの肩を翼で突っついてきた。それで、ぼくは気を取り直し、その鳥に質問をしてみた。 「あの……あなた、は、何ですか?」 「ん、何とはなんじゃ。わしは、ここの森の神じゃぞ」 「え、神様?」 「うむ、そうじゃ。なんじゃ? まさか、わしのような神がいることも知らずに、あのような罵詈雑言を浴びせかけたのか?」 「す、すみません。本当にいるとは思っていなかったんです。てっきり、話の中にしかいないと思っていたんで」 「あきれた奴じゃ……」  鳥――神様は、翼を頭にあてて、まるで人が頭を抱えているような格好をした。その姿が大きな鳥であること以外、ただのおじいちゃんのような話し方をしていて、あまり威厳は無い。でも、神様だ。ぼくがいじめられていることを、何とかしてくれるかもしれない。 「お願い事があるんですけ……ハ、ハクション!」  頼みごとをしようと口を開いたとたん、くしゃみが出てきた。それと同時に、自分が全身ずぶ濡れだったことも思い出した。うぅ、寒い。震えが止まらない。 「願い事? ってそんなことより、その身体を乾かさなきゃいかんな。ほれ」  神様が翼を広げて、ぼくを包み込むと、いい匂いがして、ぼくの服が軽くなった。それと同時に、水に浸かった服の、嫌な感じはなくなっていた。――すごい、本当に神様だ。こんな一瞬で、ぼくに熱いと感じさせること無く、服を乾かすなんて。神様以外にありえない! 「ありがとうございます! 神様! ひとつ、願い事をしてもいいですか?」 「願い事? ふむぅ……わしに出来ることは限られているが……まぁ、かなえてやろう」  そういうと、神様はいきなり自分の羽をくちばしで取ると、ぼくに渡してきた。ぼんやりと白く光っていて、とてもきれいだ。でも…… 「あの、これなんですか? ぼくは願い事を……」 「まぁまて、坊主」 神様はぼくを押しとどめるように翼を広げると、言い始めた。 「いいか、落ち着いて、よく聞けよ。坊主。その羽は、一つだけ、願いをかなえることが出来る。ただし、人に関わることや、願いをいくつもかなえたいとかいうことを除いてじゃがな」 「えっ、ひとつだけ願いを?」 「そうじゃ。坊主、よく考えな。ひとつだけじゃが、金や銀を山ほど出すこともできるし、大きな物を消すことだって出来る。日照りの日に雨を降らすことだって出来るし、大嵐を鎮めることだって出来る」  驚いているぼくに、身振り手振りを加えながら、神様は説明してくれた。でも、あまり聞かず、ただ渡された羽を見ていた。 「じゃあ、これでぼくがいじめられているのを……!」  ぼくは、嬉しかった。これでまた、学校にいけるようになる。まさしがぼくをいじめなくなれば、ぼくはまた、学校にいけるようになる。そうすれば、ぼくは幸せに―― 「あぁ、それは無理じゃ」  ぼくがそんなことを思っていると、神様がダメ出しをした。 「なんでですか!」  いきり立って神様に詰め寄ると、神様は頭を振って、あきれたように言った。 「わしの話を聞いておったか? 人に関わる願いは無理じゃといっただろうに。」 「あ……」  ぼくは、一瞬前までの興奮がしぼんでいくのを感じた。そして、とても暗い気持ちになった。神様でさえ、ぼくのいじめを止められないんだ。ぼくは、ずっと幸せになれないんだ。 「だから、わしに出来ることは限られているといったんじゃ。だが、そんなもの誰も持ってはいないぞ。坊主だけがそれを持っている。坊主だけの、願い事じゃ」 「じゃあ、どうやっていじめを止めて貰えば……」  ぼくは神様に聞いてみた。神様は、静かに考えていたけど、やがて頭を上げて言った。 「人に、何かを渡したら、もういじめられなくなると思うなら、それに使いなさい。ほれ、最近は、『ぱーそなるこんぴーた』やら、『けーたいがたげーむき』、『おんがくぷれーや』等というものをほしがるんじゃろ?」  神様の知識は片言で、微妙に偏っていたけれど、ぼくは一瞬、それだ! と思った。 だけど神様がぼくのことをじっと見つめているのを見て、それは違うと思った。――たぶん、一回物をあげると、もっとたくさん、もっといい物を持ってこさせるようにするだろう。それだと、いじめが酷くなるだけで、全くよくならない。物で、つまり願い事ではいじめを無くすことは出来ない。  ぼくは、神様の方を見て、静かに言った。 「それじゃあ、いじめが酷くなるだけです。願い事では、いじめはなくなりません」  神様は満足そうに頷いた。そして、ぼくの言葉を待つように、またじっと見つめてきた。  ぼくは、たどたどしく、つっかえながら神様に向かって言った。 「えっと……自分で、何かしなければいけないと思うんですけど……どうしたら、いいと、思いますか?」 「そうじゃな。ではまず、坊主のことを話してみろ」  神様は、翼を使ってぼくの頭を撫でながら言った。言っていることはぶっきらぼうで、偉そうだけど、その声は、言葉は、ぼくの心に優しく響いた。 ぼくは久しぶりに、ぼくの話を聞いてくれる相手に出合った。それは、願い事をかなえる羽なんかより、ずっと、ずっと、比べ物にならないほど嬉しかった。  だから、ぼくは神様に近寄ると、抱きついた。 「はい、神様。実は……」  神様に抱きつきながら、これまでのいじめのことを話した。まさしたちのこと、クラスのみんなのこと、先生のこと、お母さんのこと、全て包み隠さず話せた。  神様は、ぼくの涙や鼻水で汚れても全く気にしないで、ぼくの話を辛抱強く聞いてくれた。優しく、暖かく、ぶっきらぼうに。  ぼくは、神様に三つの助言をもらった。そして、別れ際に、呼んだらまた来てくれる。という約束をしてもらい、明日学校に行く、という約束をした。  神様と別れて、家に帰る。すると、お母さんが、ぼくのことを聞いてきた。「学校も行かずにどこに行っていたの」やら、「何か嫌なことでもあるの」やら、「私と目を合わそうとしないじゃない」やら、うざったい。だから、いつものように振り切って帰ろうと思った。  でも、神様からの助言、その一『お母さんには、わしに言ったようにすべてのことを包み隠さず話すこと』があるので、お母さんの方を向いて言う。 「あのね、お母さん……実はね……」 「なあに、孝志?」  久しぶりに、お母さんの目を真っ直ぐ見て、ぼくは話し始めた。 「実はね、みんなから、いじめられているの」  そう言ったとたん、お母さんはぼくのことを抱きしめて、言った。 「そうなの。良かった。孝志がお母さんのことを嫌いになったんじゃなくって……私に、話してくれる?」  ぼくは、また泣いた。今日は、よく涙が出る日だ。涙記念日だ。そして、話した。神様に一度話したから、神様に話したときよりずっと順序立てて話せた。そして、お母さんは明日先生とお話してみるね、と言って、学校、行きたくなければ休んでもいいよ、と笑った。お母さんが笑っているのを久しぶりに見た気がする。――そうか、ぼくが家で笑わなくなってから、お母さんは笑っていないんだ。  だから、ぼくは笑って言った。 「お母さんに話せたから、大丈夫。それにね、今日、とてもいい人と会ったんだ」  お母さんと一緒に夕飯を食べて、帰ってきたお父さんと一緒にテレビを見た。これまでの毎日と違い、とても楽しかった。眠くなったので、おやすみなさいを言って、自分の部屋に入った。  ぼくはポケットに入れたままだった、白い羽を取り出した。これに、何をお願いしよう。ゲーム? お金? 新しいピカピカの自転車? それとも台風を消す? 大火事を食い止める? 色々と考えたけれど、何も思いつかなかった。 心はただ、神様のことと、その助言のことだけを考えていた。明日学校で上手くいくだろうか。いじめられなくなるだろうか。 「それにしても」 気づかずに、口に出していた。でも、そのまま言う。 「神様って、面白いな」  ぶっきらぼうな振りをして、ぼくのことを気遣ってくれた、今日、新しく出来た大きな友達。明日も、明後日も、その次の日も。会いに行こうと考えながら、ぼくは眠ってしまい、慌ただしい今日一日が終わった。  次の日、学校の教室に入った。その瞬間、まさしがこっちを睨んできて言った。 「やあ、たかし君。お身体の調子はもうよろしいので?」  その言葉で、まさし達のグループの人たちが笑い出した。――今の言葉で、少し頭痛がしてきたよ。と、言おうか迷ったけど、やめた。一応、ぼくの身体を気遣っている。これで怒ったら、ぼくはただ単に変な人だ。ポケットに入っている羽の感触を確かめると、ぼくは息を吸い込んで言った。 「ありがとう、まさし。おかげでもう元気だよ」  すると、まさしは笑うのをやめて、またぼくの方を睨んできたけど、何も言わずに他の人との話に戻った。 「おはよう」  他の人たちに、挨拶をした。みんな、ぼくのことを少し避けて、挨拶を返してくれない。ぼくがいつも何を言っても無視する。イラッとしたけど、神様の助言その二『直接いじめてこない奴は放っておけ。いや、むしろ進んで挨拶とかしろ』をしっかりと実行して席に着く。この前席替えをしてから、ずっとまさしの真後ろの席だけど。  まさしが言ってくることを、怒らずに、避わしていると、みんな相変わらずぼくのことを少し避けてはいるけど、ぼくのことをそこまで気にしなくなった、気がした。赤い魚の中のスイミーから、ただの赤い魚に変身した感じがする。 「はい、みんな席について〜〜出席をとります」 「先生、おはようございます」 「あら、孝志君。おはよう。もう大丈夫?」  丸い身体をした、先生。いつも優しくしているだけで、ぼくの事を全く守ってくれない先生。でも、神様からその理由を言われて納得した。『お前がたすけて、といわないからじゃ』だって。確かにそうだ。何も言わなければ、助けようがない。 「はい、大丈夫です」  にこやかに笑っていった。うん、我ながらいい笑顔だった。 「そう、無理しちゃあ駄目よ。じゃあ、日直さん、号令をかけて〜〜」  まだ、助けは求めない。神様の助言が後一つあるから。少しの間、チャンスを待つために我慢だ。  そうして、朝の会が始まり、ぼくはチャンスを待っていた。別に、一日中、どこでもいいけど、早ければ早いほど、これからの学校生活が、楽しくなるだろう。そう思っていると、まさしが話してきた。 「おい、たかし、お前、調子乗っているんじゃないぞ? 次の休み時間かくごしろよ」  ぼくは、少し震えた。チャンスだ。次の休み時間にチャンスが来る。でも、怖い。とても怖い。頭痛が酷くなり、胃がムカムカしてきた。ポケットの中の羽を探って、ぼくは一回深呼吸すると、言った。 「わ、わかったよ」 ……こんな風に答えるから、ぼくはいじめられっこなのかもしれない。  一時間目が終わり、休み時間。ぼくは、まさしたちのグループに教室の角で囲まれていた。 「おい、お前、自分の立場わかっているのか?」  まさしがぼくを真正面から睨みつけてくる。こうやって立つと、まさしのほうが、ぼくよりずっと背が高く、腕も、腰も、ずっと太い。 「今日、お前は俺達の代わりに教室の掃除当番な。ハハハハッ」  まさしは、ぼくにそう言うと、笑いながらグループの人たちと自分の席に戻ろうとした。いつもはここで終わり。でも、今日は違う。 「待てよ!」  思いっきり叫んだ。大声で、教室中に響き渡るほど。そして、驚くまさしたちに向けて言った。 「もう、お前達の代わりはしない。オレは、もういやだ!」  無理して口調を荒くし、一歩まさしの方に詰め寄る。まさしは、顔を真っ赤にしながらこっちに一歩歩いてきた。怖い。足が震える。だけど、ここでやめたら、いつもと同じだ。 「オレは、もう、絶対にお前達の言うことを聞かない。絶対だからな!」  そういったとたん、お腹にまさしの拳が突き刺さった。鈍い音と、激しい痛みで、ぼくはたまらず地面にうずくまった。胃の中の物が逆流しそうだ。 「お前は、俺たちの言うことを聞いていればいいんだよ!」  もう一発、今度は顔を殴られた。そこで、ぼくはそれに合わせて跳び、大きな音を立てて壁に突っ込んだ。 「もう、絶対に聞かない、聞かない! 聞かないぞ!」  まさしに掴みかかる。周りの奴らが、ぼくとまさしを引き離す。お互いに、押さえつけながらにらみ合っていると、騒ぎを聞きつけた先生がやってきた。 「何をやっているの、やめなさい!」  初めて怒っている顔を見た気がする。ぼくは、顔を真っ赤にしながら、叫んだ。 「ぼくはもう、いじめられるのは嫌なんだ! まさしなんか嫌いだ!」  その声に先生は反応して、他のクラスの人たちに、事情を聞き始めた。みんな、ぼくがいじめられていたことを話してくれている。ぼくは、もう、いじめられなくて済むかもしれない。神様のやけに長い助言、その三『人が一杯集まっているところで、そのまさしって奴に突っかかれ。ただし大声で叫んで、みんなの注意を引いてからじゃぞ』を、実行したおかげだ。 これまでぼくを避けていたクラスの人たちが、ぼくの周りにやってきて、ぼくのことを気遣ってくれている。とてもうれしくって、思いっきり笑った。 「たかし、悪かった。もう、二度としない。許してくれ」  まさしがぼくの方をむいて謝ってきた。先生が、まさしの方を睨みつけている。――誰が許すものか。ぼくは、酷い目にあってきたんだ。絶対に許すものか。  僕は一歩前に出て、拳を握った。まさしは、泣きそうな顔をしているけど、関係ない。振りかぶって、お腹に一発、思いっきり拳を叩き込もうとしたとき、ポケットから羽が落ちた。 『坊主、お前はまさしと同じようになりたいのか?』  光る羽から、神様の声が聞こえた。一瞬、ぼくの身体は止まったけど、もう一度動き出す。振りかぶった拳は真っ直ぐまさしのお腹に向かい――ポフッと、柔らかい音を立てた。 「これで無かったことにするから、もうやらないでね」  羽を拾って、まさしに向かって笑いかける。――神様、ぼくは自分がやられて嫌なことはしないよ。 まさしは泣いた。それは、今まで見たどんな涙より、ずっと、ずっと、温かい涙だった。   ???  いじめられなくなってからの学校は、とても楽しかった。朝、教室に入り、みんなといろんなことを喋る。それから授業を受けた後、友達と一緒に遊んで家に帰る。何も遊ぶ予定が無い日や、少し時間に余裕がある日は、神様と一緒に色々なことをする。とても嬉しい毎日。とても楽しい毎日。とても安心する毎日。 「おはよう、みんな」 「おはよう、たかし」「おはよう」「よう、おはよ〜」  クラスメイト達と普通に話すのが、とても楽しい。普通に友達として付き合えることがとても貴重なことだと、いじめられたことでわかった。 「よう、まさし。今日はサッカーでもやらない?」 「おう、いいな。じゃあ誰を誘おうか」  まさしと親友になれて、とても嬉しい。しっかりと自分の思っていることを言ったら、すぐに仲良くなれた。今では二人だけで遊びに行ったり、勉強で競争したりしている。 「神様、今日はまさしと一緒に遊んできました」 「良かったな、坊主。友達は大切にしなければならんぞ」  神様と話していると、とても安心する。まるでおじいちゃんと話しているみたいだ。少し口が悪いけど、言っていることは正しくて、思っていたことをはっと変えさせられることもある。  少し前から、ぼくは神様に聞きたかったことがあった。 「ねぇ、神様。どうしてぼくと話をしてくれたの?」  あの森で、川に落ちたのはぼくだけではないはずだ。それに、ぼくは神様の悪口まで言った。そんなぼくを、なんで助けてくれたんだろう。  神様は足を二、三踏み鳴らすと笑いながら行った。 「坊主があんなふうに叫んでいたら、おちおち昼寝も出来んわ」  ぼくは笑った。あまりにも神様が見え見えのうそを言っていたから。神様も笑っていたけど、ふと思い出したように言ってきた。 「そうじゃ、坊主。あの羽は使ったか?」 「ううん、まだ。だってあれが無くても大丈夫だったから。でも、使ってもいい?」  神様の方をみながら聞くと、神様は頷いた。 ポケットから白い羽を取り出す。人に関するお願いはダメ、願い事を増やすこともダメ。そんな羽を使って。お金ではない。天気でもない、そう神様のことをお願いする。 「神様が、ずっと元気でありますように」  羽は白い光になって消え、神様は破顔した。 「わしのことを気遣うなど、千年早いわ〜〜っ!」  木々の新芽が芽吹く春の森。ぼくは、少し前ここで変わった神様に会って、笑えるようになった。幸せになった。  そして今、他の皆を笑わせて、幸せにしている。 〈終〉